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Ilha

「横浜」の名前の由来をご存知でしょうか?

幕末まで今の中華街からが馬車道にかけて、海に浮かぶような砂洲があったようです。砂洲の長さは2キロ、内側は大きな入り江になっていて、今の横浜球場や伊勢崎町一帯は海でした。横に浜がすーっと伸びていたことから「横浜」と呼ばれ、砂洲には横浜村という漁村があったと記録されています。

実は、首都ルアンダ市の沖合い2キロの辺りにも「横浜」があります。ここのは全長6キロ、幅は数百メートルあり、砂洲の根元はルアンダ市と繋がっています。

この砂州はIlha(イーリャ)と呼ばれ、先端まで真っ直ぐな道が通っています。道の両脇には粋なレストランや高級マンションが立ち並び、ルアンダで最も地価が高い場所となっています。砂浜は真っ白でキメが細かく、週末にもなると家族連れやカップルが海水浴やBBQを楽しむ憩いの場となります。

Ilha(イーリャ)の真ん中に桶を頭の上に乗せて魚を売り歩く女性の像が立っています。このアフリカ独特の行商は、アンゴラでも日常的に見かけます。女性たちは頭の上に軽々と山盛りの果物、野菜、魚や日常品を乗せて、売り歩いています。

日本では時代の波が「横浜」の砂洲を消し去り、昔ながらの行商も姿を消していきました。

ルアンダのように天然の砂洲や伝統的な行商が今でもそのまま残っている町は世界でも珍しいかもしれません。


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