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Rua Luther King


1959年12月21日。

アメリカの公民権運動の指導者だったキング牧師は、

あるアンゴラ人の若い女学生に手紙を出します。

その名前は、デオリンダ・ロドリゲス (DEOLINDA RODRIGUES)。

当時、ブラジルに留学中のデイリンダは、

ポルトガルからの独立を訴える女性活動家でした。

この手紙は、デオリンダがキング牧師に書いた手紙への返事でした。

そこには、ポルトガルからの独立を訴えるデオリンダの正義感と、

しかし、アンゴラに戻れば捕まえられてしまう不安と恐怖、

などが綴られていました。

キング牧師は、返事の中で、

”自由と独立をを勝ち取るには、それなりの犠牲が伴うこと、

しかし、最後は、自分の道は自分で決めること、” と答えます。

その後、デオリンダはブラジルでの2年間の留学を終え、

アンゴラの北の国境を接するコンゴで、 難民救済に従事します。

その同じ年の1961年、ポルトガルとの独立戦争が勃発します。

彼女は独立派として捕らえられ、

自由の身に戻れないまま、1967年に亡くなります。

アンゴラが独立を勝ち取ったのは、8年後の1975年。

デオリンダ は、独立運動に身を捧げた女性の英雄として、

いまでもアンゴラで語り継がれています。

その彼女に大きな影響を与えたのが、キング牧師でした。

RUA LUTHER KING(ルーサー・キング通り)と呼ばれる通りが

ルアンダ市内にはります。

RUAとは、通り、という意味です。

アンゴラは独立戦争後、反米寄りでしたので、アメリカ人の

名前を市内の通りにつけることは、普通ではありえません。

静かな住宅街を抜けるこのルーサーキング通りを散歩してみました。

楽団の鳴らす曲にあわせて、体で喜びを表現しながら

踊りだしている女性たちがいました。

これから結婚式のようです。

自由を夢見たデオリンダ。

自分もこうやって踊れる日を夢見たことでしょう。


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