Ginga
16世紀から続いた、ポルトガルの植民地支配と奴隷貿易に
真っ向から立ち向かったアンゴラ人女性がいました。
彼女の名前は、「ジンガ女王」 (Ginga 別名 Nzinga)。
39年間の在位中、ポルトガルと命がけの戦争と粘り強い
交渉を繰り広げました。
ジンガ女王の有名な話を一つ紹介しましょう。
1622年に、ジンガ女王は満を持してポルトガルと
平和条約の締結に臨みました。場所はいまのルアンダ市です。
交渉の当日、ポルトガル側は女王に椅子を用意しませんでした。
ルアンダ総督をはじめポルトガル側は椅子に座り、女王を床に
座らせ、上から見下ろして、優勢に立とうと企てていました。
部屋に入ってその気配を感じた女王は、咄嗟にそばにいた奴隷
を床に四つんばいにさせて、その背中に座ったそうです。
ジンガ女王の気迫は、すでに相手を圧倒していたそうです。
ポルトガル側は、女王が治める国を従属させることを目論んで
いましたが、結果は失敗に終わりました。
その後もポルトガルの圧倒的な武力に苦しめられ、国内部族
間の紛争や隣国コンゴとの争いに女王は巻き込まれていきます。
彼女は1663年12月17日に80歳で亡くなります。
死後、ポルトガルの植民地支配が勢いを増していきました。
最後までポルトガル人が手を焼いたジンガ女王への報復のように
女王の死後、ポルトガルはあらぬことを流布し、吹聴します。
今もジンガ女王の銅像はアンゴラ各地に堂々と立ち続けています。
信念を貫いたジンガの威風を感じます。
今でも多くのアンゴラ夫婦は彼女の銅像の前で結婚式を挙げます。
女王の生き方にあやかって、逆境に強い夫婦になることでしょう。