Andrew Battell
アンドリュー・バッテル(Andrew Battell)は1565年イギリス生まれの探検家です。
バッテルは、1589年(24歳)に、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロに向けて、
探検の旅に出ます。
ブラジルに到着すると、仲間の船員と離れ離れになり、インディオに捕らえられます。
そして、当時ブラジルを統治していたポルトガル人に引き渡されてしまいます。
挙句の果てに、そのままポルトガル船に乗せられ、再び大西洋を渡って、アンゴラの
ルアンダに移送されます。
彼は、ルアンダでも捕らわれの身のままでしたが、周辺国から象牙や椰子を買い集める
ポルトガルの商売に手を貸すようになります。
しかし、あるときオランダ船に脱出を図ろうとしたことが発覚して、再び囚われの身
となります。
その結果、ルアンダから150キロ内陸にあった辺境の町”マッサンガノ”(Massangano)
という町に身柄を移されます。
そこに6年間も幽閉されます。(写真;今のマッサンガノの遺跡)
”マッサンガノ”は当時、アンゴラではルアンダに次ぐポルトガルの要所でしたが、
アンゴラの部族対立の最前線に位置していて、絶えず戦争に巻き込まれています。
彼も、地方部族の鎮圧や制圧のために、ポルトガル軍に加わって、前線で戦います。
鉄砲の名手だった彼は数々の功績をあげ、ポルトガル人からも一目置かれます。
ある日、隙をついてマッサンガノを脱出して今のコンゴに逃亡します。
バッテルはその後、ポルトガル、オランダ、スペインとイギリスの海上覇権の狭間で、
自由の身になる日をじっと待ちます。
ようやく、イギリスを出発して18年後の1607年に、イギリス船に乗り込んで
再び祖国の地を踏みます。
バッテルのことは、当時、アンゴラやコンゴに滞在していたヨーロッパ人にも知られて
いました。彼は、強靭な生命力と強運の持ち主だったと言わざるを得ません。
イギリスに戻ってから、バッテルはこの数奇な体験を一冊の本に書きます。
題名は、”The strange adventures of Andrew Battell" (アンドリュー・バッテルの
不思議な冒険)です。
この本は、16世紀末から17世紀にかけてアンゴラと周辺諸国を克明に書いた
最初の本だと言われています。
”アンドリュー・バッテルの不思議な冒険”は1614年に出版されます。
彼はその出版を見届けるように、同年、49歳で波乱に満ちた生涯を閉じます。
映画インディー・ジョーンズようなバッテルでしたが、彼の人物画は残っていません。
風貌や格好を想像するだけでわくわくします。
史実は映画よりも奇なり、です。